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琵琶湖疎水 南禅寺水路閣 国宝に申請!

琵琶湖疎水 南禅寺水路閣

琵琶湖の水を京都市内へ供給する人工の運河。

東京遷都で衰退した京都の再興に向け、第3代京都府知事の北垣国道が計画した。トンネル堀削を伴う難工事は1885年(明治18)に着工し、当時20代前半だった技師の田辺朔郎の指導で行われた。この事業、全行程を日本人が担った最初の大型土木事業とされる。

水力発電の電力は日本初の路面電車にも利用され、新たな産業の創出などに寄与した。

近代の土木構造物では初の国宝となる南禅寺水路閣

京都の近代化を象徴する琵琶湖疎水の関連施設である大津市と京都市を結ぶ「第一疏水」の隧道(トンネル)や、南禅寺水路閣やインクラインを含む代表的なもの5棟を、国宝と重要文化財に申請した。日本の技術を結集させた。(明治時代中期「都市基盤施設の金字塔」として近代に築造された土木構造物の国宝指定となる!)

国宝に指定される琵琶湖疏水の施設

・第一隧道

・第二隧道

・第三隧道

・インクライン

・南禅寺水路閣

重文でない建造物が「飛び級」で国宝に格上げされるのは、正倉院正倉(奈良市)、迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所、東京)に次いで3例目。

京都府内での建造物では、萬福寺(宇治市)に続き2年連続。滋賀県では日吉大社(大津市)と大笹原神社(野洲市)以来64年ぶり。

琵琶湖疏水は1890年(明治23)大津市の琵琶湖岸から京都市の鴨川に繋がる「第一疏水」と、蹴上で分岐して北上する「疏水分線」が完成し、94年に伏見にまで至る「鴨川運河」が開通し、1912年には第一疏水に沿う「第二疏水」も完成した。総延長は約30㎞にもなる。

国宝となるのは、第一疏水にあたる3ヶ所の隧道。

第一隧道(全長2444m)は、山の上から穴を掘る国内初の「竪坑工法(たてこう)」で進められた。

蹴上のインクライン(高低差36m、全長582m)は船を台車に乗せ、船溜間をつないだ。

南禅寺水路閣(全長93m)は、れんが造りのアーチ橋での施術である。

疏水の水は左京区岡崎地区の別荘庭園などに引き込まれ、伝統とモダンなつくりを織りなす。近代京都の景観を美しく形成している。

疏水関連では、京都御所の防火用に設けられた「旧御所水道大日山水源地喞箇所(ぽんぷしょ)」(山科区日ノ岡夷谷町)や「蹴上発電所旧本館」(左京区粟田口鳥居町)。

水位を調整する「大津閘門(こうもん)」(大津市三井寺町)、「大津運河」など19棟などが重要文化財指定を求めた。

生きた産業遺産 琵琶湖疏水国宝

明治時代に誕生した「琵琶湖疏水」は現代においても現役で稼働している「生きた産業遺産」である。京都市に水道水を送る重要なインフラとして暮らしや経済活動や観光資源もあり京の街を潤している。

「第二疏水」の水は、3カ所の浄水場で処理される。処理後、各家庭や事業所へ運ばれる。京都市内で使用される水道水はその殆どが琵琶湖を水源とする。

重要文化財に指定される伏見(墨染、伏見区桃山町舟下)と夷川(左京区聖護院蓮華蔵町)の両発電所本館も現役で稼働している。疏水の水を利用しているほか、南禅寺水路閣を経て哲学の道を通る疏水分線やインクラインは身近な散策路として市民や観光客でにぎあう。

大津市側では、大津運河(大津市三井寺町)を船が行く光景が見られる。山科区の蹴上乗下船場と大津市の大津港や三井寺乗下船場を舟運で結ぶ。舟運は67年ぶりに復活した2018年。伊藤博文や山県が揮毫(きごう)した扁額(へんがく)がかかる第一隧道などの産業遺産からは明治のロマンを感じることが出来る。航路は期間限定ではあるが大津港まで延伸された。

疏水船は近代日本を切り開いた国宝を間近で味わえる船になっている。

生きた産業遺産 先人たちの技術の結晶に感謝したい!

                      

                          ・・・乾杯!

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